浄土真宗は聴聞に極まる。

降誕会(若坊守撮影)

過日5月15日、今度は松江市内合同の降誕会法要が、川津の西宗寺さまでありました。
順光寺からも、7名のご門徒さんと一緒にお参りしました。

お勤めは、正信偈(草譜)。
「帰命無量寿如来、南無不可思議光・・・」
松江市内寺院の住職さん方が、揃ってお内陣でお勤めをなさいます。
わたしたち参拝者もみなで声高らかにお勤めします。これは、親鸞聖人が作られた偈(うた)で、様々な法要や、日常のお勤めとしてよく読まれています。

記念講演は、飯南町の西正寺ご住職さま。

メモの中からここに記すと・・

  • わたしが自分の力でお念仏を唱えているのではない。いつのまにやら自然と、唱えている身に
    お育ていただいたのです。
  • 「南無阿弥陀仏」の教えは、こちらにはないものを阿弥陀さまからいただくわけだから、簡単にはワカラナイ。
    だが、その教えを聴かせてもらわずに死んでしまったら、何のために生きているのかわかりません。
    だから、今までお寺にも参らなかったわたしが、いつの間にかお参りするようになった。
  • 仏教の世界は一人称。「わたしの歩む道」です。
    他の誰でもない、「わたし」のこと。誰かがどこかで、そのうち救われる、ではない。
    この「わたし」が救われなければ、意味が無いのです。
    そして、阿弥陀さまは、わたしが疑っていようがいまいが、お念仏申そうが申すまいが、必ず救うと誓われたのです。

・・・一言では表せない、阿弥陀さまの光は無量寿光。

「お慈悲のちからは、ぬくいでなぁ」
妙好人で知られる、因幡の源佐さんも言ってたっけ。南無阿弥陀仏。なもあみだぶつ。

(若坊守)

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