順光寺の歴史

順光寺の歴史を紹介します。

石橋町に寺基が移るまで

順光寺所蔵の「順光寺史」によると、約800年前、現松江市上大野町に教音法師が天台宗の草庵をむすんだのが順光寺の開基とされています。

その後、1576(天正4)年、川津村菅田(現松江市菅田町)に移転しました。浄土真宗に改宗したのは、この頃です。慶長年間、現在の石橋の地に移転しました。当時の寺号は「順光明寺」でした。

妙好人・神谷備後(神谷源五郎冨次)

神谷備後(神谷源五郎冨次)は、松江藩主松平直政の家老であり、仰誓編『妙好人伝』(第二)に雲州松江大夫神谷氏祖として記されています。母子ともに熱心な門徒であり、大阪の陣では、母に持たせられたご本尊(顕如上人御裏の三百代の御本尊)を陣屋に安置し、朝夕礼拝していました。

大阪の陣の合戦の折、敵から鉄砲で胸板を撃たれるものの傷一つなく、陣屋に帰ると安置したご本尊の胸から血が流れていました。神谷備後は一命を取り留め、このご本尊は「身代之本尊」(写真)として伝えられており、現在、松江市北堀町の神谷家にて大切に保管されています。

実際は、懐中に入れていたご本尊が鉄砲の弾を弾いたということも考えられますが、熱心な門徒であった神谷備後の一面を表したエピソードであると言えましょう。

順光寺改築に尽力

寛永十五年、直政公は出雲国を拝領しました。神谷備後は直政公に従って出雲国に入国し、松江藩政の基礎作りに貢献しました。出雲国入国の折、松江石橋の地に順光明寺という、移転したばかりで寺基が整っていない浄土真宗の寺院があることがわかりました。神谷備後は自らが大檀那となって多額の私財を投じ、寺号を順光寺と改め寺院を改築しました。

僧純編『妙好人伝』(第三篇・巻上)によると、神谷備後は門柱に札を張ったり正月に門松を飾ることをせず、真宗の宗風を守ったと記されています。

また、神谷源五郎の母東局(織田信長の姪)は、息子の陣中で宗祖親鸞聖人の報恩講を行うなど、非常に熱心な門徒でした。陣中での報恩講の導師として招かれたのは、大阪薩摩堀の広教寺に滞在していた了誓という僧侶でした。この了誓が順光寺第三代目の住職です。

熱心な門徒であった神谷備後の尽力によって、順光寺の基礎が作られたと言えるでしょう。順光寺の境内には、初代神谷備後夫妻の墓碑、神谷家累代の墓があります。

なお、神谷家のご自宅は、現在松江市北堀町(塩見縄手)にあり、上述の「身代之本尊」の他、本願寺より直政公の入国を祝した書状(写真)、寺の建立にあたり、本願寺と神谷家家老が交わした古文書、大阪の陣で着用した甲冑、直政公より賜った太刀と脇差など、神谷家ゆかりの品々が大切に保管されています。

江戸期の順光寺

石橋町について

松江の城下町は元々湿地帯だったため、良い水が湧く場所が限られていました。順光寺が寺基を構える石橋町は北側に小高い山があるところから、町内に良質の井戸水が湧く場所でした。そのため、江戸時代には造り酒屋や醤油蔵が並び、職人の町として栄えました。今もなお、その面影が残っています。

江戸時代の物流の中心は水運です。松江の城下町では、お城の周りのお堀を使って舟で荷物を運んでいました。順光寺の裏手に奥谷川という川が流れており、松江城のお堀に繋がっています。当時はこの川を使って、材料や商品を運んでいたと考えられています。この川には石でできた橋がかかっていました(場所は、現在の出雲そばきがる前)。当時は木の橋が主流で石の橋は珍しかったため、「石橋」の名前の由来となりました。

また、石橋町は本庄へと続く街道の入口でもあり、多くの人で賑わった場所でした。順光寺にも多くの人々がお参りされました。江戸時代当時から、順光寺は地域で暮らす人々の心の拠り所でした。

順光寺の本堂

松江の城下町は何度かの大火にみまわれました。現存の順光寺本堂は、およそ300年前(元禄時代)の石橋大火の後に建立したものです。鳥取市にある真宗寺院が本堂建立のため不要となった旧建物を譲り受けて再建しました。また、江戸時代当時、順光寺の屋根の高さは周辺建物の高さの基準とされました。

明治期〜現代

順光寺には江戸時代に寺子屋があり、地域の学びの場でもありました。明治時代に学制が敷かれると教導所として第15番小学(奥谷女児小学)に指定され、その後、北堀小学校(松江市立城北小学校の前身の一つ)となりました。

1958(昭和33)年、本堂山門を修理。
1974(昭和49)年、庫裏を新築。
1985(昭和60)年、本堂の屋根替工事。
2009(平成21)年、庫裏の改修・増築工事を行い、親鸞聖人750回大遠忌法要と併せて落慶法要をお勤めしました。
2019(令和元)年、本堂改修工事を完遂。住職継職奉告法要と併せて落慶法要をお勤めしました。

参考文献

  • 「続・山陰の武将」山陰中央新報社
  • 「島根県大百科事典上巻」山陰中央新報社
  • 「神谷家老来歴 松江藩を支えた代々家老」玉木 勲

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