順光寺のルーツを探る

身代之本尊 阿弥陀如来絵像

先日、若坊守と二人で塩見縄手にあるご門徒の神谷昭孝様宅にお邪魔しました。
ご主人の第14代神谷昭孝様は、順光寺復興にご尽力された神谷源五郎氏の子孫であり、ご当家ゆかりの品々を大切に保存されています。

神谷源五郎氏は、松江藩主松平直政公のご家老であり、松江藩政の基礎作りに貢献されました。
熱心なご門徒であったと伝えられており、仰誓編『妙好人伝』(第二)に「雲州松江大夫神谷氏祖」として収められています。

雲州松江松平出羽侯ノ家老神谷備後 禄三千五百石 代々真宗ニテ本山御直門徒ナリ
(仰誓編『妙好人伝』第二)

写真のご本尊は、現在も神谷家に保存されている「身代之本尊 阿弥陀如来絵像」(顕如上人御裏の三百代の御本尊)です。
源五郎氏が直政公に従い大阪の陣に出陣した折、敵から鉄砲で胸板を撃たれるものの傷ひとつなく、陣屋に帰ると、安置したご本尊の胸から血が流れていたことから「身代之本尊」として伝えられています。

寛永十五年、直政公に従って出雲国に入国した際、寺基が整っていない浄土真宗の寺院「順光明寺」を、源五郎氏が多額の浄財を投じて改築したのが今の順光寺です。(寺号はそのとき改められたそうです)

僧純編『妙好人伝』(第三篇・巻上)には、順光寺門徒である雲州神谷備後(神谷源五郎氏のこと)は、門柱に札を張ったり正月に門松を飾ることをせず、真宗の宗風を守ったと記されています。

(前略)他の家中には門柱に大般若転読武運長久等の札を張り、正月には注連縄門松を飾るに神谷の家には更に其儀式の無ければ、侯それは何故と問玉うに、臣は代々真宗にて宗法かくの如くに候よし申上られしかば、候最の由に聞召れ、今に変らず宗風を守られしとなり。(後略)
僧純編『妙好人伝』(第三篇・巻上)

神谷家の茶室には、本願寺より直政公の入国を祝した書状が掲げられており、こちらも撮影させていただきました。

本願寺光圓書状

他にも、大阪の陣で着用した甲冑、直政公より賜った太刀と脇差など、神谷源五郎さんゆかりの品々が大切に保管されています。
その他、多くの古文書が保存されており、中でも松平直政公から拝領したものを掛け軸にし、その月々、その折々に掛け替え、茶室に飾られています。

熱心なご門徒であり、順光寺の礎を築かれた初代松江藩家老神谷源五郎氏、そしてその思いを代々受け継がれてきた神谷家の方々。
長い順光寺の歴史に触れさせたいただいた尊いご縁でありました。

帰り道、これまで積み重ねられてきたご門徒の思いを次代に残していきたいねと、夫婦で語り合ったのでした。
この日、神谷様ご夫婦には、ご多用の中大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

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この記事を書いた人

豅 純吾(ながたに じゅんご)

豅 純吾(ながたに じゅんご)

浄土真宗本願寺派 順光寺 住職(宗教法人代表役員)。
Webデザイナー・グラフィックデザイナー・カメラマンとしても活動(個人の公式サイト
地元・松江の観光振興にも携わっており、チーム水燈路運営委員会で広報を担当。