【フォト法話】仏法は聴聞に極まる

仏法は聴聞に極まる

「お聴聞(ちょうもん)」とは

「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり

『教行信証』信文類

「お聴聞(ちょうもん)」とは、お寺にお参りし、仏さまのお話(ご法話)を聞かせていただくことです。

「聴聞」という言葉には、「聴く」「聞く」の2つの漢字が当てられています。「聴く」はこちらから積極的に聞くこと。英語だと「hear」です。一方、「聞く」は耳に入ること、英語では「listen」。受動的に聞くということですね。

仏法は聴聞に極まる

本願寺第8代宗主・蓮如上人は、

仏法は聴聞に極まる

御一代記聞書

と仰せになります。

蓮如上人は、ある日ご門徒からこんな相談を受けました。

「ご法話の最中は、ありがたく聞いているのですが、一歩外に出ると、全部忘れてしまいます。籠で水をすくうようなものです。どうしたら良いのでしょう?」

蓮如上人はこう答えられました。

「籠を水から上げるから漏れるのです。籠を水に浸けておけば漏れません。そのような気持ちでお聴聞されたらどうでしょうか。」

阿弥陀如来さまの本当の願いを「聞く」

お聴聞は、学校の授業や研修の講義とは違います。また、なんどもお聴聞することで、ご利益のようなものがいただけるわけでもありません。

煩悩に振り回されているこの私こそが、阿弥陀如来さまの救いの本当のお目当てであった、私のいる場所はまさにお慈悲の中にあった、そのように聞かせていただくのが「お聴聞」なのです。

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この記事を書いた人

豅 純吾(ながたに じゅんご)

豅 純吾(ながたに じゅんご)

浄土真宗本願寺派 順光寺 住職(宗教法人代表役員)。
Webデザイナー・グラフィックデザイナー・カメラマンとしても活動(個人の公式サイト
地元・松江の観光振興にも携わっており、チーム水燈路運営委員会で広報を担当。